/ 宵に下駄の響きかな / ※若干の暴力・流血表現がございます。  //SITE INDEX


 これは、朝顔に呑み込まれた私のお話です。

 とつぜん何の話かと笑われるかもしれません。
 きっと、信じてはいただけないでしょう。
 それでも、夜のひととき私がここにいられるということ。夜空の星を、しんしんと見上げて下駄を鳴らして歩けること。独りでは寂しくて、その奇跡を、誰かに分かち合っていただきたくなったのです。
 ええ。もちろん、花火を見ながらでどうぞ――ああ、スターマインですね。私も好きです。まるで、ひとの魂が降ってくるみたいで美しい。
 私は、美しいものは大好きです。小さいころからそうなんです。
 はい?
 ええ、どうぞ、もちろん。
 あの娘の手もしっかりつないでいてくださいね。
 いいですね、海辺の花火大会。
 邪魔をしたいわけではありません。そんなこと、できませんもの。
 ただ、イヤホン越しにでも私の思い出話を聞いていただければ、それだけで私、幸福なのです。
 イヤホン越しにお話ができるだなんて、ちょっと不思議でしょう?
 さみしい少女の繰り言です。
 よろしければ、おしまいまで聞いてくださいましね。





 どこから――お話しましょうか。

 多分、間接的なきっかけとなったのは両親の死です。小学四年生の夏に事故で一度に喪いました。
 そして都会から、海端の叔母の家に引き取られることになりました。
 この町に来なければ。
 朝顔に呑み込まれたりもせずに、私は今もワンピースなどを物色して、うきうきと夏祭りにでも向かっていたことでしょう。今さら言っても詮無いことですけれど。

 義理の母となった叔母は夜遊びが多く化粧が派手で、気性の荒いひとでした。

 私は義母に憎まれていました。義母の愛する男に愛されていたからです。
 それでも、中学に上がるまでは良かったのです。義母の嫌がらせも、日々の憎まれ口や、ちょっとした八つ当たりで済んでいたのですから。
 ですが、私のからだが少女のものから女のそれに変わっていくに従って、私へ男が向ける視線は変わり、義母の憎悪は深くなりました。でも、それは私のせいではありませんでしたし、どうしようもないことでした。私だって、綺麗にしているのは好きでしたし、どうしたってからだの成長を止めることなどできません。
 家を出ることも考えましたが、学校の教材費ですらまともに出してもらえないのです。電車賃すらありません。
 見知らぬ行きずりの方にからだを預けてお金に変えるという手段もないではありませんでしたが――まぁ、端的に申し上げて、私の美学に反するのでやりたくありませんでした。

 ああ、まったくもって!
 男の方にはわかっていただけないかもしれませんが、女というのは難しいものです。
 私はあまり家に帰らないようにしましたが、それでは身の危険があることに、きわどいところで気づかされる事件が近所でありました。
 私が夜歩きをしていて被害をまぬがれたのは偶然、違う角を折れていたという理由でしかなかったのです。家で罵倒されることと、見知らぬ男のひとたちに暴力で弄ばれることの切なさを比較して、私は前者を取りました。

 義母の仕打ちは日に日に酷くなりました。
 梅雨が開けて、蝉の声が朝夕降るようになったころ。
 私はある夕べに、商店街の鬼灯市で男のひとに美しい花をもらいました。
 その花を帰ってきて窓際の小瓶に生けて、眠りました。

 なにが気に障ったのかは分かりません。いただいた花は、義母の愛する男にもらったものでもありませんでしたし、私は、花が好きだから飾ったのであって、誰に見せつけるためにそうしていたわけでもなかったのです。

 ともあれ、明け方前に帰ってきたひとに私は引き起こされました。
 小瓶をぶちまけられて、花を踏みつけられました。
 たくさん殴られて血が出ました。
 気を失って次に瞼を開けるとそこは家の裏でした。
 空が白み始めて薄藍に染まっていました。目の前にゆがんだ義母の顔がありました。そして昨日の夕立でまだぬかるんでいた地面に顔を押し付けられ、踏まれて引っ叩かれました。
 私は悲しむより先に腹が立って腹が立って。
 惨めでした。
 泥をかぶって、ささやかな気に入りの花を踏みつけられて、顔中を涙でぐしゃぐしゃにしていました。美しいと生前に父が褒めてくれた顔は、朝の澄んだ光のもとで水に写すと腫れ上がって醜かった。それでますます涙を溢れさせました。
 口の中に塩の味がいっぱいに広がります。私の嫌いな海の味でした。
 家の前に塀代わりにある格子にはたいして世話もしていないのに朝顔が蔓延っていました。白玉のような露をそっと葉に伝わせて、そっとほころんでいく上品な紫がかった藍の花。
 ――私よりも美しい。
 そんな、どうしようもない八つ当たりでした。

 私は、納屋からひっそりと義母の大切にしていた園芸バサミを持ち出して、朝顔のつるを切りました。
 じょき。
 ちきんちきん。
 ぷつぷつぷつり、ちきん。

 そして、その園芸バサミは裏手口から歩いてしばらくの場所にある、下水の流れ込む溝の中へ投げ込みました。

 ざまあみろ。
 ざまあみろ。

 笑いながら涙を流して、私は家に戻らず、黎明の坂道を越えて国道へ向かいました。
 海猫が風に乗っています。
 日が高くなって肌を焼いても、立ちどまるつもりはありません。
 ガードレールの車道脇を、ぎらぎら光るアスファルトに裸足でペタペタと歩き続けます。
 ぐんぐんと膨らむ入道雲。
 足の裏は焼けるようでしたが、叔母に痛めつけられるよりもずっと心地の良い痛みでした。
 このままどこまでも、どこまでも行ってしまおう。
 二本の足さえあれば充分だ。


 夕暮れになって、私は、捕まりました。


 駐在さんに見つかり詰問されて、夕食のラーメンをご馳走になり、夜更けに家の前まで送り届けられました。
 車で二時間もかかる距離だなんて、思えば、なんとも遠くまで歩いたものです。
 逆らう気力はもう、湧いてきませんでした。

 私がズタズタにした朝顔のつるが金属の格子に絡んでいます。悪いことをしたと、今さらながらに思いました。
 その時です。
 切りそびれていたのでしょう。絞り小さくなっていた朝顔の花がひとつ目に入りました。
 目を惹いたのは偶然ではありません。

 だって、
 その朝顔の花は、
 首を上向けぐるぐると動き、
 みるみるうちに私の頭ほどにも大きくなっていたのですから。

 そして捻じれながら漏斗型に花開き、ひとくちに私の頭を呑み込んでしまいました。

 明け方になって、頭をもたげた朝顔色の私は、もはや、ひとではありませんでした。
 義母が殴られたらとても痛そうな棒を持って私を探しています。
 あの子はどこに行ったんだいと。今日こそ、今日こそと思っていたのに……と。

 彼女は、私の足元(よく見えませんでしたが)で立ち止まり、しばらく惚けました。
 それから悲鳴をあげました。延々とやかましい金切り声をあげました。
 近所の無関心な方々が、わらわらと集まって囁いています。

 ああ、私はやっぱり朝顔に首をもがれて死んでしまったのです。

 情けない最期ですが、不思議と心は晴れやかでした。
 朝顔は私を助けてくれたのかもしれません。それとも、ただ、命を奪うことで報いを与えただけなのかも。
 どちらにしても、私は美しい花に姿を変えることができて、義母に辱めを受けていびり殺される運命からもひらりと身をかわすことができたのです。
 私にとっては、紛れもない救いでした。
 朝顔を切っただけで死ねるのなら、もっと早くにそうすれば良かった。

 ささやかな朝風は夜明け頃のためか、夏にしては涼しく私は目一杯に花びらをお日さまに向けました。


 夜になれば私はひととき、ひとの姿に戻ります。
 朝顔柄の浴衣で、下駄を履いて、太陽を待ちながら縁側に座るようになりました。
 夜に家に出這入りしている方に話しかけようと試しては無視されました。脚を出せば引っかかって躓くのですから、見えていないとは信じられなかったのですけれど。 数度試して表情を観察してみた結果、どうやら私はひとの目には見えないのだと知りました。
 私は少し発光しているらしく、虫たちが寄ってきてこまります。そこで、誘蛾灯のあるお店の軒先まで散歩することを覚えました。
 空が白む前にカランコロンと音立て帰宅しては、また露を含み、セミの名残の求愛を身に受けてひそやかに花を開くのです。
 そうそう。
 姿を見せることはできませんでしたが、電波越しであれば声を伝えられるようなのです。
 これも家にいる義母の携帯電話やラジオを使い、何度も実験をしてみました。やりすぎて、義母は入院してしまいましたけれど。朝方に救急車が走り去るのを見かけました。また戻ってくることはあるのでしょうか。
 なんにしても試しただけのことがありました。
 今、こうしてあなたに話しかけることができているのも叔母のおかげです。少しは感謝ですね。ふふ。

 そんなこんなで毎日は、それなりに楽しく過ぎています。
 ――「夏は夜(がいい)。」と書き記したのは、清少納言でしたか。
 私も夏の夜は大好きです。
 蚊帳の中が秘密基地のようで好きでした。親戚が集まる法事のときなど、やたらに楽しかったことを憶えています。肝試しで従兄弟たちとはしゃいだ幼い日々が懐かしい。
 おかしいですね。死んでしまった今になって、もう戻らない日々のことをなぜか無性に思い出すのです。

 懐かしいですよね。

 そうそう。
 ねえ、義兄さん。
 叔母さんが悲しまないのは分かるのですけれど、あなた、私を好きだと言いましたよね。肌にもたくさん触れましたよね。
 花をもらっただけで私をさんざん殴りましたね。
 それならどうして、そんな可愛らしい女の子と、私の四十九日も明けないうちから花火なんて観にきているんですか?

 朝顔は一年草。
 この姿を冬まで保てるかも分かりません。
 夏の終わり、私の四十九日ともに、空に溶けてしまうかも分かりません。
 けれど、今この夏の宵だけは、下駄をカラコロ鳴らして、あなたに並んで花火を見たりもできるのです。
 虫が少し多いですけれど、夜風は温くてとても心地がいいですね。

 私は美しい美しい朝顔少女になりましたよ。
 そんな娘よりも上品な浴衣を着て、朝露に濡れるまでは誰よりも美しいのですよ。

 ねえ。
 イヤホン、外さないでいてくれますよね?

 では、今宵も、また。
 海白む彼は誰時に、家の前で、朝顔はあなたをお待ちしています。













競作小説企画「第六回 夏祭り」提出作品
<使用お題:朝顔、花火大会、塩味、蝉、夕立ち、白玉、入道雲、虫、ほおずき、蚊帳、肝試し>