発作というのはどういう語源なのかしら?


従妹はやけにませているのではないかと僕は思う。
だって彼女はまだ九歳だ。
今時の言葉で言うなら、ありえねえ。
僕が帝大生だというだけで、彼女は僕をなにか一種の神様のような、それも世界中の全ての辞書を脳から取り出せるような、全知全能の賢者のようなものと思っているふしがあるらしい。
実際はもうニ留のぐうたら学生なのに、困った者だと思う。
「発作って、作るのと出発するんだよね。私それがよく分からないの。作るってほうが。」
何で作るの?何を作るの?それでどうして発作なの?友達で学校で喘息の発作を起こした子がいるの。それで思ったのよ。
そんなこと言われても僕に分かるものか。
僕は文系だけど理系志望だったんだ。
「ねえ?洋次さん。どうして?どうして?」
僕は自分の名前がそれほど嫌いではないけれど、年下のそれもずうっと年下の女の子にさんづけで呼ばれた時に妙にいやらしい響きになるのだけはどうにもやりきれなく思っている。
「辞書引いてみれば良いだろ」
「それもそうね。洋次さん、ありがとう」
小さな足音を鳴らして自分の部屋へ戻っていく少女の髪は黒く細く、ああ、僕もこれくらいの年の時があったんだなあなんてふと考える。
はっきりと思い出すことはできないけれど、あの時うちは大変だったしそれはしょうがないことだろう。
あのころは死ぬとか生きるとか、それがあまりにも小学生の僕にはリアル過ぎて、受けとめるのが辛かったけれど、それでも受けとめなければ僕は兄を応援してあげられないことが分かっていた。
お見舞いに行って、励ましてあげることが兄を生きさせるということを僕は本能で感じ取っていたのだろう、お見舞いをやめたのは一日きりだった。
行かなかった日に急に容態が悪化したのは天啓だと当時思ったのだ。
(でもあれは今でも神の警告だったんじゃないかと思う。)
理論も理屈も超えてしまえば、知識が時に辛くなる。
久し振りに、兄の顔が見たいと思った。
海沿いの電車に乗れば、今夜には着けるだろうか。







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