「他じゃ思わないけど、新宿で見る中央線は好き。」




『ア シ ド メ』






1:

「ふうん。」
山本くんは頷いてみる。
ホオジロさんは分からないなあ、と呟く。
ぐぐっと腰を曲げたような白線を運搬トラックが器用にカーブしていき排気ガスでけほけほと連れていた猫が咳をしたような気がした。
「山本くんついに先生と上手くいったんだって?」
ふとホオジロさんが思い出したように眉を上げて山本くんを冷やかした。
山本くんが頭をかく。
サリョウさんは、腕に抱いた猫の耳裏を引っ張りながら新宿で見る中央線に相変わらずうっとりしていた。
――ガタンガタン、トトゴントトゴン。



2:

……どこかの海岸で以前見たような景色に少し様子が似ているみたい。
サリョウさんの頬を、ホウジロさんがいたずらにつついた
「ほらもう行くよ?」
サリョウさんはフッと我にかえると、初めて逢ったような目でホウジロさんと山本さんを確認した。

三人は新宿で、いま小さく人気があるという珈琲屋さんを訪れにやってきたのだ。
平日の昼間というだけあって歩く人々は休日よりも少ないが、通る車は急いで明日へ走らせていた。新宿駅南口近くの入り汲んだ角にそれはあった。
別に誰ひとりとして珈琲好きは居ない。山本さんは専ら炭酸系を好み、ホウジロさんとサリョウさんは、お酒などがとても好きでふたりはたまに居酒屋へ飲みに行ってるみたいだ。

どこの風か三人の興味は、その珈琲屋さんに注がれていた……



3:

「ねえ。猫がいたら多分だめだよ。コインロッカーとかに入れてきたほうがいいって。」
焦げ茶の扉にはメッキの剥げたベルがある。
「え?」
「だからさ。猫」
サリョウさんの腕で丸まる毛並みの揃った黒猫は、言われたことを理解したみたいな眼の見開き方をしてほそくニャーとないた。
「コインロッカーって。虐待かよ。」
山本くんがひどく常識的な意見をくれた。
サリョウさんは猫のおしりを人差し指の先でふみふみと掻いてあげながら、珈琲屋さんの看板を眺めていた。
「でも、動物歓迎って書いてあるもの。」
ホオジロさんと山本くんがサリョウさんの視線を追ってベルの脇へと目を向ける。
確かに青緑のサインペンで、そう書いてあった。

『動物歓迎いたします。店長』



4:

「珍しい喫茶店だな~動物歓迎って。 よほど動物好きかなんかだろうなぁぁ。」
山本くんが頭を掻きながら言い放った。

「でもよかったよ。これで連れて入れるんだからさ。」
サリョウさんは黒猫に話しかけ、そして黒猫もそれを分かってるのかさっきと同じ細い目で一つ鳴いた。
焦茶の扉を開ける。
動き出した瞬間はとても軽い扉だったのに、開けていくにつれだんだんと重くなってきた。
同時にベルが鳴り、うす暗い店内が少しずつ見えてきた。
内気な山本くんは、やっぱり誰よりも一番うしろにまわっている。
店内は、前に店主が時計屋をやっていたんじゃないかと思わせるほど様々な時計があった。
しかもそれぞれ刻んでる時間が違っていて一体どれが今現在の時刻なのか、およそ見当もつかないそんな空間だった。

店主は、沈んで座り込んでた椅子を蹴って立ち上がった……



5:

「一名様ですね。」
「いえ、三人です。」
ホオジロさんは生真面目に訂正した。
きっぱりと訂正した。
みゃー、と細い声がする。
サリョウさんの腕の中で細い声で黒い毛並みが蠢いていた。
サリョウさんはぱちぱちと睫毛を上下させて店主のエプロンを見た。
店主は低く陽気な声で両の頬を持ち上げた。
「いやいや、お客様のようにハンサムな方は最近とんとお見かけしない。そこにおられるお付きたちも、鼻が高くてうれしいでしょうな。」
どこかの時計が十二時になったらしくて鳩が忙しくぴぽぽと窓から出入りをした。 十二回律儀に同じ動作を繰り返す。
珈琲の深い香りが店内に漂っていた。
ホオジロさんはわけが分からない。
山本くんが二人の女性の上から出した頭をちょいと捻ると、奥のテーブルには黒い影が座っていた。

立派な黒ヒョウの夫婦だ。

山本くんは目を瞑って回れ右をした。



6:

山本くんの回れ右に応えるかのように、三人は揃って顔を見合わせた。それがなんとも滑稽だったのか店主がそっと口を挟んだ。
「さぁさ、どうぞ。お席はどこでも結構ですよ。あの黒ヒョウのご夫婦もここの常連でしてね、決して噛みついたり悪さなどしたりはしませんから。」
ホウジロさんのすぐそばの時計がいきなり鐘を鳴らして、ホウジロさんはビクッと肩を震わせた。
山本くんにもサリョウさんにもそれは聞こえていないようだった。
「で、では。」
遠慮などはしてないが、三人は入り口に一番近い席を選んで歩み寄る。ふと、サリョウさんの腕の中で三人の様子を伺っていた黒い毛並の猫が思い出したかのように、まるでそれを知ってるかのようなふうにサリョウさんの腕を飛び出しカウンターを背もたれに出来る奥側に音もなく座ったのだ。
サリョウさんはあまり気にしなかったが、三人は四人用の席にそろそろと腰をかけた。

「何になさいますか?」
店主が席につくのを確認して、その柔らかい頬を震わせて言った。
どこにもメニューは見当たらなかったが、ここは珈琲屋だということは三人とも承知なはずだ。とりあえず、三人はブレンドコーヒーを注文した。

「では、そちらさんは何になさいます?」
店主は、黒い毛並の猫におもむろに問掛けた。今まで猫を被ってたのか、黒い毛並のそれはいつもの細い目でニャーとひとつ鳴いた。店主はまた頬を震わせてこう言ったのだ。

「おやおや。変わったものがお好きですねぇ。ただ、ご注文であれば何でもご用意しますよ。」



7:

カウンタの奥へと消えて行った店主を見送り三人はもう一度顔を見合わせた。
どこかで今度は七時十五分の可愛らしいメロディが鳴り響いていった。
「変わったものってなんだろ。」
ホオジロさんがぽつんと言う。
山本くんは首を左右に振った。
隣に座った猫の耳裏を撫でながらサリョウさんは頬杖をついた。そしてにゃーというのを聴いてしばらくしてから天井を見た。
電灯は表面が黄ばんでやや暗い。

どこかで十二時半の鳩が先程のようにぴぽぽと出入りする。

いつまで立っても注文したのは来なかった。 ホオジロさんがあくびをする。
山本くんの色恋沙汰をからかうにも時間が経ちすぎてネタ切れになってしまったのだ。
「おっそいなぁ。」
「何やってるんだろうな。」
「彼が頼んだものに、時間がかかってるんだと思うの。」
サリョウさんが当然のことのように呟いてまた黒い毛並みを撫ぜた。
黒猫はじいっとサリョウさんをまんまるい瞳で見上げてから髭を震わせてみゃーみゃーと鳴いた。
「それにしたって遅いじゃないか。」
山本くんはムツゴロウじゃないのでサリョウさんのそういう部分は理解できない。
席を立って机をまわってカウンタ側に身を乗り出す。
首を伸ばして奥のほうを覗き込もうとした。 そこでベルが鳴った。
カランカラン。
焦げ茶色の扉から細い光が差し込み、ゆっくりと闇に戻った。
入ってきたお客さんらしき動物が、山本くんを認めて二本足で寄ってくる。
「―キミキミ。新しいウェイターだね。いつもの奴を頼むよ。」
そしてそのままカウンタの手前から二番目の椅子にちょこんと座って澄ましたように動かなくなった。
奥の黒ヒョウの夫婦の優雅な笑い声が鐘の音(今度もホオジロさんだけがびくりと肩を揺らした)に混じり、沈黙からお店を救ってくれていた。
山本くんはおかげで動けなくなって果てしなく途方にくれた。



8:

山本くんがそっとその二本足の動物を見やる。大きなヒグマだ。 山本くんは当然足をふるふると震わせてまん丸い目であちらこちらを見回した。
何よりも驚いたのはヒグマが喋っていることだ。
「おいウェイターだろ?ほら。ツったってないでいつもの奴を。ほらぁ」
山本くんはしばらくの間を置いて言った。
「いえあの、僕ウェイターじゃないですよ?ここの…。マスターは今注文したのをこしらえにカウンターの奥にいます。」
なぜか丁寧に正しいことを伝えた。
「ぁあそうなんですか。いやね?ここに人間がお客で居るとは思わなくてね、何年もここに通ってるが君らのようなの見たのは初めてでね。」
ふと黒い毛並みの猫に気付く。
「ほう。あなたがたはこの猫のお付きの方ですな?ほう、立派な猫だこと。」

サリョウさんも耳裏にある手を思わず止めてジトーっとした空気を感じていた。
どこかしらで今度は4時のベルが鳴る。少し壊れているようでそれはなんとも滑稽な音だ。
その珈琲屋の窓には、クレヨン画が描かれていて外はまったく見えない。
「そう言えば、今何時なんだろ。」
ホウジロさんが思い出したかのように言ったが僕らが新宿に着いたのは午後の初めだし、別に気になりはしなかった。

カウンターの奥から店主の声がして、みんなはそちらの方を同時にうかがった。



9:

出されたブレンドコーヒーはこれでもかというくらいに冷めていた。
「でもおいしいじゃない」
ホオジロさんが感心したようにカップから口を離す。
「冷めてるんじゃなくてこれ、最初からアイスコーヒーなんじゃないか?」
山本くんが常識的な意見を言った。
サリョウさんはひんやり焦げたべっこう飴みたいな液体をこくりと飲み込んで、僅かな苦さに眉をちょっぴり寄せた。
そうして隣の猫を見た。
「おいしい?」
「まあまあかな」
猫が答える。
さくらんぼのミルク煮は猫のからだにいいとは言えない気がしたのだけれど、彼は本当に美味しそうに舌を出してちろちろそれを舐めては食べていた。
最初に気付いたのは山本くんだった。
でも知らないふりをした。
次に気付いたのはホオジロさんだった。
彼女は驚いて思わずコーヒーを胸元にこぼした。
「ねえ、ちょっと。今の気のせいだとは思うんだけど」
「え?あ…ほんと」
サリョウさんが頷いて思い出す。
「喋れるようになったの?おまえ。」
猫は猫をかぶってにゃーにゃーと可愛らしい声で鳴いた。

目覚まし時計みたいなベルは十秒ほど鳴り響いてから止まった。

「ほうこのクレヨン画、また新しいものとお代えになったんですか。いやぁマスターは本当によくお描きになる」
「いえいえまだまだですわ。」
「そんな謙遜なさらずに」
低くこもった唸り声と陽気な人間の声帯がカウンタで会話を交わしている。
どうやら窓の絵画は陽気な店主の作らしい。

黒ヒョウの夫婦はやがて会計を済ませて店を出て行き、錆びたベルが余韻を残しながら鳴った。

あちこちからは秒針が霧雨みたいに重なり合って店内を静かなざわめきで彩る。
三人とも少々居心地が悪くなっていた。
話題も尽きて、ただもくもくと出されたものを食道に流し込んでは店内に視線を泳がせる。
「今何時なんだろ。」
ホオジロさんが先程と同じことを呟いてカップをソーサーの上で半分回した。
山本くんがよそ見して頷く。
どちらを向いても違う時間を示しているのでまったくさっぱり分からない。
サリョウさんは残り雫だけになった黒いコーヒーを舌先で猫のように舐めて、薄い明かりの天井を見上げた。
明かりまでもが時計の色でできていた。
サリョウさんは瞬きをゆっくりと三回と一回、繰り返す。
プリーツスカートの下でミュールが爪先ごとさらりと擦れた。
「そうか。何時でもあって、何時でもないんだよ。世界中の人たちが足を止めた瞬間を、ここで集めているんだもの。」
その響きはサリョウさんのものに似ていたけれどそうではなかったかもしれなかった。
並んだ二人は驚いて向かいの座席を見つめた。
どこかで今度はひどく澄んだハープがしていた。
「…だから時計がこんなにあるの。鐘がたくさん鳴っている。」
例えば先程、サリョウさん自身が新宿を走る中央線の朱色に目を奪われたのと同じようなひとつひとつの瞬間たちのこと。
それを知らせる幾つもの鳩とベルと古びた鐘と。
ああ、そうか、とサリョウさんは漠然と言葉にせずにただ考える。
足止めの始まりの場所。
だから不思議なのはあたりまえ。

――だって記憶が確かなら、風の噂に聴いたとき、ここの喫茶店の名称は。



10:

「そっかぁ。"アシドメ"だもんなぁ。」
ホウジロさんがソーサーの上でカップをまた少し回して言った。

「たくさんの時計があるでしょう。これらは確かに今の時刻など示してはいないんです。あなたがたもここへ来るまえ、何処かで足を止めませんでしたか?」
店主がその低い声でどこを見るというわけでもなく言った。
時計たちの秒針の音はもはや、ザーと降る雨のようで少しだけ心地よく思えてきた。
「そうですね。僕が足止めを食らいました。ちょうど新宿の歌舞伎町入り口の横断歩道から見える中央線に惹かれてしまったのです。」
隣で猫がミルク煮をすする音が時計たちと混ざりあっていた。
「ここは足止めが呼んだ場所なのです。そう私自信がここで足止めを食らったようにね。」
意味深げに店主はカウンターの向こうで何やらこしらえてるみたいだった。
「何だか今何時なのかは、どうでもよく思えてくるね。」
山本くんがそう言うと三人は顔を合わせることなく静かに首を縦に振ったように思えた。

珈琲は、もうすっかりなくなってしまっていたが店内の時計たちはいたるところでピポーやらベルやらを鳴らしてはまた静寂を作っていた。
あの大きなヒグマは大きい腰をあげて店主と何やら話をして店を出ていった。扉が開いて光は漏れてこなかったので、もう夜なのかなぁとおよそ見当が付いた。
窓に描かれたクレヨン画がなんとも愛らしく見えてきた。
「さぁ僕らもそろそろ帰ろうか。」
サリョウさんが何だか少し笑いながら言ってきた。
ホウジロさんも山本くんもそれに頷いて帰り支度を始めた。
「おや。お帰りになられるのですか?」
「えぇ。外も何だか夜らしい雰囲気に思えるのでそろそろ…」
「そうですか。またお越しください。きっとまた来たくなりますから。」
笑顔で店主は言った。山本くんが颯爽と扉を開ける、同時に表にあったベルが鳴りちらす。
すると、外は夜なんかではなくまだ昼間だ。三人は動揺した。
スッと猫が店先の通りへ出やると大きなあくびをひとつして、口をモゴモゴ動かした。
「あれ、ぼくらどのくらいここに居たんだろ。まだ昼間なんてありえないはずなのに。」
サリョウさんが問いかけるが、ホウジロさんも山本くんもそれに答えることが出来ない様子で、ただ昼間の明かりで目が少し眩しさを覚えたのを堪えるのに必死だった。



11(最終話):

その後にあったひとつおかしな話をしよう。

サリョウさんの猫が消えた。
街の中で忽然と、朱色の中央線にサリョウさんが気を取られて腕の中を再び見たときには影も形もどこにもなくなっていたのだ。
「そんなにさくらんぼおいしかったのかなぁ。」
寂しそうにサリョウさんが呟いたのを、ホオジロさんがなでなでしてお酒に付き合ってあげた。
あとはさして日常も変わらない。
サリョウさんはつてをたどって子猫を見つけたはいいものの、黒い毛並みをもう少しくらい待ち続けたほうがいいような気もしてまだ返事を保留している。
三人は相変わらず仲良くやっていたけれど、揃ってアシドメに行ったことはなぜだかその後一度もない。

おいしい珈琲店が通り道にもう一つできたからだ。
山本くんはそこで働き始め、他の二人は割引目当てにブレンド珈琲で毎日居座る。
今日も新宿には線路の音が鳴り響いている。
海岸できらめく奇妙な朱色の貝殻みたいに時々サリョウさんの目を引きながら、中央線は通り過ぎていく。

ガタンガタン。
トトゴントトゴン。

ガタンガタン。
トトゴントトゴン…。


踵がゆっくりと降りて歩みを止める。
混じれて、遠くの遠くで柱時計のベルが鳴った。




『アシドメ』おわり。

2005年07月





青猫さんとの合作です。偶数番が青猫作・奇数番がいすず作。
猫さんがバンドのスタジオに行く通り道にあった写真に、少しの言葉を添えて載せた記事へ 私がこっそりつけたしをして交代で連載していました。 お互いなんとなく書いていたのでサリョウさんの性別があやふやですが敢えてそのまま載せてみます。笑。
猫さんありがとう。
とても好きな作品なので、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。






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